◆
例えば君は、生命の定義を説明できるかい?
生命の定義?難しいなぁ。
難しい所か、本当の意味で答えられる人間がいるかどうか怪しいものだよ。
そうかな?確かに難しいけど・・・。
例えば、『自然に誕生する自立して行動できるもの』なんていうのは?
悪くないかもしれない。
だが、それだとクローン生物は生命とは言えないし、
アトムも生命になれない。
だけど、『自然に誕生する』を無くすと、
単調に線をなぞるだけのロボットだって生命になってしまうじゃないか。
そうだね。
いや、もしかすると実際に生命なのかもしれないが。
だからこそ、生命の定義は難しいんだ。
それがどうしたのさ。
結論から言うと、定義する事はできるんだよ。
さっき私がクローン生物やアトムを例に出したけど、
君の定義に従えば、
単純にそれらが生命ではないという話になるんだよ。
自分で否定しておいて・・・。
そう、それでも私は否定した。
つまりそれは、私に別の定義があったからという事さ。
別の定義?
人は、答えを一つだけにしようとする。
でも実際にはそうではないと、最近私は考えているんだ。
話が飛躍するね。
いや、そういうわけでもないよ。
というより、元々さっきの話は例に過ぎない。
そしてこの例だけじゃない。
他にも多くの問題を突き詰めていくと、
どれも同程度の説得力をもった複数の解に出会うなんて事がしばしばある。
だから考えてしまう事を放棄するとでも言うの?
そうじゃない。
より正しい答えを得ようとする思索には意味があるよ。
ただ、答えを一つだけ出そうなんて無益な話なんじゃないかって事さ。
それでも人は、自分の意見を言う為に一つを選ばないといけない。
複数の人間が議論をする場合だね。
しかも複数の人間がそれぞれ別の答えを選んでいる場合だ。
各人が自分の信じる意見を全力で述べて、
誰の意見が最も正しいかを議論するというわけだ。
つまり、この場合は、
一人の人間が頭の中でやる事を複数の人間で分担したに過ぎないよ。
でも、それが原因で争いが起こる場合がある。
だから無益なんだよ。
最初の例でも分かると思うけど、
複数の答えが、共存できるとは限らない。
自分の選んだ答えの正当性を守る為に、
他者の答えを轢き殺さなくてはいけない場合がある。
それで争いが起こる。
その通り。
複数の答えがあるのだからと、納得できればいいんだけどね。
それは無理なの?
だって、今私が話している考えだって、
一つの答えに過ぎないじゃないか。
2008.10.16